楽茶碗 金井紫晴

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2009.01.01
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赤白掛分け茶盌 以ベルリンの壁

ベルリンの崩壊した壁を用いて作った茶盌

赤が東ドイツ 白が西ドイツとして 間にベルリンの壁を入れ  ベ

ルリンの崩壊した壁の象徴とした茶盌です。


石ハゼの石の代わりに 実際の崩壊したベルリンの壁が入っておりま

す。

私の茶盌造り


  私が楽茶盌を造るようになったきっかけは 母が茶道を教えて

いたことに依ります。母が教えてている稽古場に抹茶を一服飲み

に行ったのが抹茶茶盌との出会いです。その内に次第に抹茶茶盌

に興味を覚え出しました。中でも「楽」という焼き物に惹かれ始め

ましたが 茶道にはその当時は全く興味がありませんでした。

ってなんだろう」と思い都内の博物館や美術画廊に足を運び始め

次第に光悦という江戸時代に趣味で楽茶碗を造った人物の作品に

強く惹かれました。特に光悦の「乙御前」という作品は私の大好

き一盌でした。しかしある時もっともっとすごい茶盌に出会いま

した。それは東京国立博物館で楽茶盌の特別展が開催された時の

ことです。その時 長次郎の「大黒」と「無一物」が並んで展示

されておりました。大黒は長次郎の代表作で利休七種の中でも特

に有名な茶盌です。ところが横に「無一物」が並ぶとなんと大黒が

霞んで見えます。その時同時に光悦の有名茶碗も幾つも展示され

ていたのですが 光悦も何かふわふわした茶盌見えます。それ程


に無一物という茶盌はトンデモナイ茶盌だったのです。

     
その時 心の中に不遜にもこのような茶盌が私の手の中より

生まれ出す事がまし出来るならどんなに素晴らしい事だろうと思

った事が 茶盌造りという泥沼への招待状だとはその時は全く気

が付きませんでした。  

 
丁度家の近くに陶芸教室がありましたので 早速その門を叩い

てみました。その教室の先生は小倉一人さんとおっしゃるのです

が 私が楽をやりたいと申し上げると 「私は楽を全く知りませ

ん。ただ窯を貸してあげるからあなた自分でやりなさい」と仰っ

て下さいました。楽の事に関して私が色々煩い質問をしたので

呆れてこんなのは相手に出来ないと思いそのようにおっしゃった

のだと思います。

   
今思うと 是が泥沼への確実な招待でした。ただ先生がこのよ

うに仰って下さらなければ あるいは適当に楽を教えて下さって

程々の茶盌が出来てしまえば今の茶盌を焼いている私は存在しな

かったと思います。

 
先生の言葉に喜び勇んで私の茶盌造りが始まりました。当時出

版されている楽茶盌の製法の本を殆ど買い込み 窯を借りながら

色々焼いてみました。取りあえず赤楽は一応焼く事が出来ました

が 黒楽の茶盌はどうしても焼けません。茶盌の外側の釉薬が融

けても内側が溶けない 口造りのあたりが融けても底の方が溶け

ない 底が融けるのを待っていると口造りの部分の釉薬が流れ過

ぎてしまう等と 難題ばかりです。本の情報とは「嘘八百」だと

この時しみじみ思った事でした。

光悦寺

光悦寺の門

黒が初めて焼けた日

          そんな悪戦苦闘をしていた折 毎年京都光悦寺で開催される光

悦会というお茶会の券が 急に用事が出来て行けなくなったので

代わりに行きませんかというお話がありまた。私は勿論喜んで光

悦会に行かせてもらいました。11月半ば過ぎの京都の紅葉は

美しく見事です。特に光悦寺の風情は独特です。お寺にしては珍

しく門を潜ると 下り坂で段々下にさがって本堂まで行くという

たいへん変った造りをしております。(光悦寺の写真) そして光悦

垣にからむ色づき始めた紅葉はなんともすがすがしい美しさで

す。色づき始めた紅葉がグラデーションを作り 今でもその光景

は私の心の中に美しい映像として残っております。
 

          この時のお茶会で私は確か「本法寺」という光悦の黒のお茶盌

を手に取った事を覚えております。(ただ今調べると光悦に本

法寺という茶盌がないので長次郎の本法寺だったかも知れませ

ん。あるいは光悦作の別の銘の御茶盌だったかもしれません。)

素晴らしいお道具の数々の余韻に浸りながら帰途に就こうと思っ

たのですが せっかく京都まで来たのだから土を探して帰ろうと

思いました。丁度 楽家先代14代の覚入さんが有楽町の朝日ホー

ルでの講演で 京都の「大亀谷」で孫の為に土を採ったとのお話

をされました。講演の最後に舞台前面に楽歴代の茶盌を並べて下

さいました。今では考えらえないことですが一碗づつ手に取って

みる貴重な機会を得ました。私が茶盌を見ている時 ふっと横を

見ると加藤唐九郎さんがショルダーバックを掛けたままで一生懸

命に楽の歴代を手に取って一盌々々ご覧になっていたのには驚き

ました。
 

そこで私もお茶会の帰り大亀谷へ行ってみる事にしました。再

建された伏見桃山城の天守閣を目印に 背広に革靴のまま「大亀

谷」へ入るとしばらく歩き廻りました。すると「東桃山団地造成

工事」という看板があり 大掛かりな団地造成をしている現場に

ぶつかりました、もう夕方で工事の人もおりません。少し土を採

ってみると なんとなく先程の光悦黒「本法寺」の土味に似ている

ようにも思えました。それで少しばかり東京へ持ちかえる事にし

ました。
 

          東京に持ち帰った土を干して砕いて篩に通し茶盌を造ってい

よいよ黒茶碗の焼成です。内心これで黒が焼けなかったらもう茶

盌造りは止めようと思っていました。と言うのは 楽を焼き始め

て赤楽は何とかすぐに焼けたのですが 黒はどうしてもうまく焼

けませんでした。
 

そこでどんな失敗をしてもよいから徹底して納得できるまで焼

こうとも思いました。陶芸教室の小倉先生は 私が何度も惨めな

失敗を繰り返しているのを見ているので 私が窯に火を付ける

と 見ていられないと仰ってその場から居なくなってしまいまし

た。
 

            さあいよいよこれから最後になるかもしれない黒茶盌の焼成

です。茶盌を窯に入れ釉薬が融ける頃を見計らって窯から挟みだ

すと なんと今まであんなに苦労していた黒茶碗が見事に焼けた

ではないですか。茶盌の内側も外側も又口辺も底の部分も均一に

釉薬が融けております。完成です。この時の感激は今でも忘れる

事は有りません。
 

          黒が焼けたのは やはり京都で採ってきた土のお蔭も多かっ

たと思いますが 最大のものは窯に対する自分の気合だと今思い

ます。釉薬が流れるのではないか 割れるのではないか 土まで

融けてしまうのではないか等 焼成中はさまざまな思いがが頭の

中をよぎりますが そんなことは忘れてエイヤ―!という気合だ

ったように思われます。
 

          そうは言っても今でも黒は難しい焼き物である事は確かで

す。
 

          一方 赤は焼成は黒ほど難しくないのですが 手癖が丸見え

になる難しい茶盌です。

楽茶盌とは (「楽」という名称の由来)

ここに参考となる一通の資料が 長次郎「無一物」という茶盌に

付属物として残っております。
 

“宗慶の男長祐,通称長次郎、千利休の意匠に由り、天正中京都

聚楽第の土を採りて茶器を製す、秀吉 楽の一字を刻したる金印

を賞賜して、其の作る所の茶碗に捺せしむ,因りて単に称して楽

焼といふ、この印は二代長次郎(寛永年中の人)に至りて失え

り、故に三代道入(世にノンカウと称する慶安頃の人)より以下

代々各其印を異にす、蓋し楽焼は皆柔にして色白く、其赤色のも

のは黄土を合和し、焼きて変色せしむ、黒色のものは加茂川石を

細末にして秞となし、焼きて之を現はす、皆手捏にして、一つも

施床を用いず、(大正名器鑑より)”
 

とあるように 聚楽第の「楽」の一字を採って楽焼きと称するよう

になったようです。ただし利休の頃は まだ「楽焼き」とは称せ

ず 「今焼き」と言っていたようです。

 (濃茶を練るために生まれた茶盌)

           楽茶盌はその発生の原点から濃茶を練るために生まれ出た茶

盌です。濃茶とは抹茶一人分3g程を一碗に3人前とか5人前程

入れてお湯を注ぎ 茶筅で練り上げて作るお茶です。丁度グリー

ンのポタージュのような感じとなります。
 

           それを3人なり5人で飲みまわします。濃茶は茶の木の古木

を使うとのことで苦みの中に甘みを感じるお茶です。大人の風味

とでもいうようなものを感じます。この濃茶はお茶を習った方で

ないと飲む経験はあまりないと思われます。
 

一方 薄茶の方はと申しますと 一人分1.5g程で今度は泡が立

つように茶筅を振ります。多くの方が飲まれた事が有ると思いま

す。一人一盌づつ点てられるお茶です。
 

            この様に濃茶を練る茶盌はお茶を練り上げ易い形が茶盌の内

側に求められます。長次郎やノンカウの茶盌の内側を見ればお茶

を練る上で大変機能的である事が分かります。
 

光悦の茶盌で「加賀」などは外側が腰の所で直角に曲がってい

るのでさぞ錬りにくい茶盌ではないかと思われますが内側は少し

丸みを帯びて造られております。光悦は自分で濃茶をしっかり練

っていたので茶盌の内側をこの様に作ったのだと思われます。た

だ「七里」のように 外側と全く同じように内側も職人芸のよう

に見事なほど角張って造られた茶盌もありますが…

(濃茶茶盌と薄茶茶盌)

         俗に濃茶茶盌と薄茶茶盌という呼ばれ方があります。まず濃

 茶茶盌とはどのようなものなのでしょうか。まず絵が無いとい

うこと 有っても抽象的な絵である事です。又 釉薬の自然な変

化は濃茶茶盌となり得ます。また少し肉厚で重みのあるものが好

まれます。馬盥や筒茶盌のようなものは濃茶に向きません。塩笥

等も一般的には向きませんが口の大きさによっては濃茶茶盌と成

り得るものもあります。
 

          よく 一楽二萩三唐津 とか 一井戸二萩三唐津というよう

なことが言われますがこれらの茶盌が濃茶茶盌の代表ということ

になります。濃茶に叶う茶盌であるのにどういう訳か志野や瀬戸

黒は入っておりません。
 

          薄茶茶盌は逆に色絵のような華やかな物 薄手の軽快な茶盌

が好まれます。
 

          つまるところ 濃茶茶盌は「抽象」「重厚」であり 薄茶茶

盌は「具象」「軽快」であると理解しておけば良いと思います。

 

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