楽茶碗 金井紫晴

楽茶盌とは

楽茶盌とは

楽茶盌とは
 

(「楽」という名称の由来)
 

ここに参考となる一通の資料が 長次郎「無一物」という茶盌に

付属物として残っております。
 

宗慶の男長祐,通称長次郎、千利休の意匠に由り、天正中京都聚

楽第の土を採りて茶器を製す、秀吉楽の一字を刻したる金印を賞

賜して、其の作る所の茶碗に捺せしむ,因りて単に称して楽焼と

いふ、この印は二代長次郎(寛永年中の人)に至りて失えり、故

に三代道入(世にノンカウと称する慶安頃の人)より以下代々各

其印を異にす、蓋し楽焼は皆柔にして色白く、其赤色のものは黄

土を合和し、焼きて変色せしむ、黒色のものは加茂川石を細末に

して秞となし、焼きて之を現はす、皆手捏にして、一つも施床を

用いず、(大正名器鑑より)
 

とあるように 聚楽第の「楽」の一字を採って楽焼きと称するよう

になったようです。ただし利休の頃は まだ「楽焼き」とは称せ

ず 「今焼き」と言っていたようです。

 

(濃茶を練るために生まれた茶盌)
 

          楽茶盌はその発生の原点から濃茶を練るために生まれ出た茶

盌です。濃茶とは抹茶一人分3g程でそれを一碗に3人前とか5

人前程入れてお湯を注ぎ茶筅で練り上げて作るお茶です。丁度グ

リーンのポタージュのような感じとなります。
 

         それを3人なり5人で飲みまわします。濃茶は茶の木の古木を

使うとのことで苦みの中に甘みを感じるお茶です。大人の風味と

でもいうようなものを感じます。この濃茶はお茶を習った方でな

いと飲む経験はあまりないと思われます。

 一方 薄茶の方はと申しますと 一人分1.5g程で今度は泡が立

つように茶筅を振ります。多くの方が飲まれた事が有ると思いま

す。

         この様に濃茶を練る茶盌はお茶を練り上げ易い形が茶盌の内側

に求められます。長次郎やノンカウの茶盌の内側を見ればお茶を

練る上で大変機能的である事が分かります。

 光悦の茶盌で「加賀」などは外側が腰の所で直角に曲がってい

るのでさぞ錬りにくい茶盌ではないかと思われますが内側は少し

丸みを帯びて造られております。光悦は自分で濃茶をしっかり練

っていたものと思われます。ただ「七里」のように外側と全く同

じように内側も角張って造られた茶盌もありますが…

 

    (濃茶茶盌と薄茶茶盌)
 

      俗に濃茶茶盌と薄茶茶盌という呼ばれ方があります。まず濃茶

茶盌とはどのようなものなのでしょうか。まず絵が無いというこ

と 有っても抽象的な絵である事です。釉薬の自然な変化は濃茶

茶盌となりえます。そして馬盥や筒茶盌のようなものは濃茶に向

きません。塩笥等も一般的には向きませんが口の大きさによって

は濃茶茶茶盌と成り得るものもあります。
 

      よく 一楽二萩三唐津 とか 一井戸ニ萩三唐津というような

ことが言われますがこれらの茶盌が濃茶茶盌の代表ということに

なります。
 

      薄茶茶盌は逆に色絵のような華やかな物 薄手の軽快な茶盌が

好まれます。
 

      つまるところ 濃茶茶盌は抽象であり薄茶茶盌は具象であると

理解しておけば良いと思います。

焼成方法

(焼成方法 焼止)
 

焼成方法はこれまた特殊で 温度が上がった窯の中に茶盌をヤ

ットコで挟んで入れ釉薬が融けたところで挟んで出します。一個

ずつの連続焼成という方法をとります。赤楽茶碗で850℃から

900℃ 黒楽茶盌で1250℃を使います。何れにしても焼けたと

ころで常温に引き出しまします。茶盌のボディは焼成中温度が上

がって土の中に目いっぱい気泡が出来た状態で常温に出されてし

まいます。周りを覆っていた釉薬は急に冷却されて固まってしま

い土の中の気包へ浸みこむ事が出来なくなります。そし多くの気

包が茶盌のボディに残る事になります。その気包が出来た茶盌の

土は丁度魔法瓶のような役目をしてお茶を冷めにくくする役割

と 茶盌を手に持ってもあまり熱く感じさせない役目をしてくれます。

(土)
 

このように焼けると茶盌を挟んで常温に出すわけですから 土

は急熱急冷に耐えるものでなければなりません。一般に焼き物は

焼成すると23割収縮します。しかし楽ではこうした理由から

収縮率のあまり大きくない土が必要になります。1割程度の収縮

で済む土を探すか さもなければあまり縮まないようにシャモッ

ト(焼き粉)等を使って調整しなければなりません。
 

成形方法も手捏ねという方法をとります。轆轤を使いますが回

転台として使うだけで轆轤の回転による遠心力は使いません。土

を半円筒状に捏ね上げそれを半乾きにして 削り出して茶盌を造

ります。彫刻で茶盌を削り出すようなものです。

釉掛

(秞掛け)
 

そして素焼きをして釉薬を掛けます。赤楽は素焼きの前に黄

(鉄分を含んだ土 黄色に見える)を掛けるか すでに土に鉄分

を多く含み黄土を掛ける必要のない物はそのまま素焼きをしま

す。そ上に赤楽は鉛ガラスの透明秞を掛けてガラスでコーティン

グします。黒楽は加茂川石を砕いてガラスを加えて作った釉薬を

掛けて焼成致します。釉薬はガラスや石ですので秞掛けの時釉薬

を溶いてドロドロにした入れ物に茶盌をさっと浸けただけでは釉

薬は厚く茶盌に乗りません。筆に釉薬を付けて乾かしながら何度

も塗り重ねてゆきます。

楽焼の起源

楽焼きの起源)

 
それでは楽焼きは中国のどこにその起源を求めるのでしょうか。

以前の説では初代長次郎は朝鮮からやってきた朝鮮人で千利休の

指導で楽焼きを始めたとしております。

 
ここで楽の釉薬は鉛ガラスを使っている事に注目するとそれは

漢の緑秞と同じす。当代楽吉左衛門氏によると中国の明代に福建

省で焼かれた素三彩がそのルーツではないかと仰っております。

その素三彩の釉薬はと申しますと鉛ガラスを使った 漢の緑秞に

なります。また同じく明代より山西省平定県の砂貨では引き出し

焼成という楽焼きに極めて近い焼き方をする窯があります。従っ

て楽焼きは福建省の素三彩と山西省の引き出し焼成が合体して朝

鮮半島を経て日本に入ってきたのではないかと私は考えます。

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